本当はイワシ好きだった 紫式部
さかなへんに弱いと書いてイワシ(鰯)。
その漢字が示すように、ほかの魚に食べられる弱い魚ということで、弱し魚「ヨワシ」から「イワシ」と呼ぶようになったとされています。
その一方で、イワシは卑しい魚ということから、卑しい魚[イヤシ]が「イワシ」になったとする説もあります。
その名前故に、平安時代の上流社会の人々は、イワシを卑しい食べ物ととして軽蔑し、口にしませんでした。
しかし、『源氏物語』の作者 紫式部は、大のイワシ好きだったとか。
もちろん、上流社会の紫式部はおおっぴらにイワシを食べることなどできません。ある日、夫の藤原宣孝(ふじわらののぶたか)が外出したのをこれ幸いにと、イワシを焼いて食べていました。
そこへ、藤原宣孝が早めに帰宅して、卑しい魚を食していることを咎められるのですが…
「では行ってまいる。」
「宣孝様、お気をつけていってらっしゃいませ。」
「だれか、だれかおらぬか。」
「はい、式部様、いかがなされましたか。」
「宣孝様がお出かけなされた。このような機会はめったにあるまい。イワシを、イワシを焼いてまいれ。」
「しかし、式部様。イワシは卑しき魚、式部様のような高貴なお方がお召し上がるようなものではございません。」
「構わぬ。わらわはイワシが大好物なのじゃ。
あのふっくらした身、口に入れると脂の独特の香りがジュワーと広がって…。脂ののったイワシは最高じゃ。
思っただけでも唾液が溢れてくる。早う、早う焼いてまいれ。」
「はい、式部様、かしこまりました。」
「式部様、ご用意ができました。」
「おぉ、今日のイワシは、特に脂がのっておるようじゃの。」
「どれどれ。おぉ、これじゃ、これじゃ。なんとも旨いものじゃ。」
こうして紫式部は、藤原宣孝の留守中にイワシを堪能しておりました。
が…
「今帰ったぞ。いやいや、意外と早くに話し合いが終わっての。早めの散会となったのじゃ。」
なんと、夫の藤原宣孝がまさかの早期帰宅。
「なんじゃ、この匂いは…
なんじゃ、それは。式部、何を食べておる。
こ、これはイワシではないか。なんということじゃ。このような卑しい魚を食するとは…
式部、恥を知りなさい。」
「しかし、宣孝様…」
「しかしも、へちまもあるものか。早う片づけるがよい。」
「お待ちください。」
サラサラサラ…
『日の本に はやらせたまふ石清水(いわしみず) まいらぬ人は あらじとぞおもふ』
岩清水八幡宮に“いわし”という言葉をかけて、「石清水八幡宮に誰もがお参りするように、鰯を食べない人はおりません」と詠みました。
「宣孝様、卑しい魚、卑しい魚と申しますが、世間一般では皆が岩清水八幡宮にお参りするように、日常的に食べている魚でございます。その名前通りに解釈しないで、実際にお食べになって、ご自分の舌で味わってからご判断すべきではないでしょうか?」
そう言いたかったのでしょう。
夫の宣孝は、式部の才能と機転のよさに、
「それもそうじゃの。では、少しだけ食べてみるとするか…」
夫の宣孝は、そう言うと、恐る恐る箸を伸ばして、イワシを口に運びました。
すると、
「おぉ、これは。いや、何と言おうか、旨い魚じゃ。」
「そうでございましょう?」
夫の宣孝はすっかり妻の才能と機転のよさに感服して、それ以後は夫婦そろって鰯を食べるようになりました。
石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は、京都府八幡市八幡高坊にある神社で、三重県伊勢市にある伊勢神宮とともに二所宗廟(氏族が先祖に対する祭祀を行う廟)の1つ。
その漢字が示すように、ほかの魚に食べられる弱い魚ということで、弱し魚「ヨワシ」から「イワシ」と呼ぶようになったとされています。
その一方で、イワシは卑しい魚ということから、卑しい魚[イヤシ]が「イワシ」になったとする説もあります。
その名前故に、平安時代の上流社会の人々は、イワシを卑しい食べ物ととして軽蔑し、口にしませんでした。
しかし、『源氏物語』の作者 紫式部は、大のイワシ好きだったとか。
もちろん、上流社会の紫式部はおおっぴらにイワシを食べることなどできません。ある日、夫の藤原宣孝(ふじわらののぶたか)が外出したのをこれ幸いにと、イワシを焼いて食べていました。
そこへ、藤原宣孝が早めに帰宅して、卑しい魚を食していることを咎められるのですが…
「では行ってまいる。」
「宣孝様、お気をつけていってらっしゃいませ。」
「だれか、だれかおらぬか。」
「はい、式部様、いかがなされましたか。」
「宣孝様がお出かけなされた。このような機会はめったにあるまい。イワシを、イワシを焼いてまいれ。」
「しかし、式部様。イワシは卑しき魚、式部様のような高貴なお方がお召し上がるようなものではございません。」
「構わぬ。わらわはイワシが大好物なのじゃ。
あのふっくらした身、口に入れると脂の独特の香りがジュワーと広がって…。脂ののったイワシは最高じゃ。
思っただけでも唾液が溢れてくる。早う、早う焼いてまいれ。」
「はい、式部様、かしこまりました。」
「式部様、ご用意ができました。」
「おぉ、今日のイワシは、特に脂がのっておるようじゃの。」
「どれどれ。おぉ、これじゃ、これじゃ。なんとも旨いものじゃ。」
こうして紫式部は、藤原宣孝の留守中にイワシを堪能しておりました。
が…
「今帰ったぞ。いやいや、意外と早くに話し合いが終わっての。早めの散会となったのじゃ。」
なんと、夫の藤原宣孝がまさかの早期帰宅。
「なんじゃ、この匂いは…
なんじゃ、それは。式部、何を食べておる。
こ、これはイワシではないか。なんということじゃ。このような卑しい魚を食するとは…
式部、恥を知りなさい。」
「しかし、宣孝様…」
「しかしも、へちまもあるものか。早う片づけるがよい。」
「お待ちください。」
サラサラサラ…
『日の本に はやらせたまふ石清水(いわしみず) まいらぬ人は あらじとぞおもふ』
岩清水八幡宮に“いわし”という言葉をかけて、「石清水八幡宮に誰もがお参りするように、鰯を食べない人はおりません」と詠みました。
「宣孝様、卑しい魚、卑しい魚と申しますが、世間一般では皆が岩清水八幡宮にお参りするように、日常的に食べている魚でございます。その名前通りに解釈しないで、実際にお食べになって、ご自分の舌で味わってからご判断すべきではないでしょうか?」
そう言いたかったのでしょう。
夫の宣孝は、式部の才能と機転のよさに、
「それもそうじゃの。では、少しだけ食べてみるとするか…」
夫の宣孝は、そう言うと、恐る恐る箸を伸ばして、イワシを口に運びました。
すると、
「おぉ、これは。いや、何と言おうか、旨い魚じゃ。」
「そうでございましょう?」
夫の宣孝はすっかり妻の才能と機転のよさに感服して、それ以後は夫婦そろって鰯を食べるようになりました。
石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は、京都府八幡市八幡高坊にある神社で、三重県伊勢市にある伊勢神宮とともに二所宗廟(氏族が先祖に対する祭祀を行う廟)の1つ。